work
未来予想図は絵に描いた餅だったのか・・・新着!!

震災の年にスタートした弊社・株式会社ニューズ 私は専務取締役として、業務に携わっていくことになる。 社長は、もう一つのイベント会社M社のM社長。 M社と弊社は、グループ会社ではあるけれども、取引先を分けていく戦略。 昨今 […]

続きを読む
work
「放てばまた満てり」

若い頃は、何事においても執着心が強かったように思う。 先行き不安なせいか、 「このチャンスを活かすんだ」 「この仕事は絶対取るんだ」 会社をやっている限り、常に存続していくことを考える。 社員にも安心させてあげたい。 し […]

続きを読む
work
奇跡の笹

1995年1月17日5時46分、阪神淡路大震災発生。近畿圏の広域にわたり未曾有の被害を受けた。特に、神戸市の市街地の被害は甚大で犠牲者は6434人にも達した。(出典Wikipedia) 私は、前年(1994年)に大阪市内 […]

続きを読む
work
閑話休題〜30年を振り返るにあたって〜

会社を立ち上げたのは本当に急なお誘いが全ての始まりだ。資金も人脈も、事務所もそれに伴う事務機器も、全てM社長が筋書きを書きそこに乗せられたと言っても過言ではないだろう。なんせ、1週間後に返事くれって、迷う暇もない「決断」 […]

続きを読む
work
決断の時

「人生はやるか! やらないか!」常に決断の連続である。重大、些細なものの違いはあるが、誰もが決断の毎日を過ごしていると言ってもいいだろう。そして、人生におけるターニングポイントは、予期せぬ時にやってくる。 1994年10 […]

続きを読む
work
平穏な日々に突然・・・

1990年の国際花と緑の博覧会は、私のイベント業界におけるエポックメイキングな仕事になったことは確かである。 その後、長男・長女が生まれ、プライベートにも変化が訪れ、なんとか大阪支社を盛り上げていこう、給料も上げてもらお […]

続きを読む
work
十人十色の思い出話

1990年・国際花と緑の博覧会が開催された頃は、バブル景気がまだ残っている頃、のちに弾けて失われた30年とも呼ばれる時期に入る「最後の徒花」だったのだろう。 私は「大輪会水のファンタジアム」パビリオンで働かせていただいた […]

続きを読む
work
「イベントは一期一会」

イベントは一期一会。本番が終わると、仮設会場は撤去され、出演者、スタッフ、関係者も日常生活に戻っていく。束の間の仮想空間である。期間限定だから愛おしく、お客様を魅了するのかもしれない。そして、スタッフも同様に、限りある期 […]

続きを読む
work
閑話休題〜あの頃、みんな熱かった〜

大学卒業後、イベント屋としてサラリーマン生活は8年に過ぎない。 この年月が短いか、長いかはわからないけれども、その後30歳で会社を立ち上げ 現在30期目と考えると、サラリーマン生活は短かった気がする。 株式会社ニューズの […]

続きを読む
work
業界の変化

せっかく入社した「小さなイベント会社」だったが、2年弱で辞めた。理由は色々あるけれども、イベント業界そのものの理不尽さに嫌気がさしたのかもしれないし、今考えると、明確な理由が「これだ」とは言えない。敢えて言えば、日本酒の […]

続きを読む