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平穏な日々に突然・・・

1990年の国際花と緑の博覧会は、私のイベント業界におけるエポックメイキングな仕事になったことは確かである。 その後、長男・長女が生まれ、プライベートにも変化が訪れ、なんとか大阪支社を盛り上げていこう、給料も上げてもらお […]

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十人十色の思い出話

1990年・国際花と緑の博覧会が開催された頃は、バブル景気がまだ残っている頃、のちに弾けて失われた30年とも呼ばれる時期に入る「最後の徒花」だったのだろう。 私は「大輪会水のファンタジアム」パビリオンで働かせていただいた […]

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「イベントは一期一会」

イベントは一期一会。本番が終わると、仮設会場は撤去され、出演者、スタッフ、関係者も日常生活に戻っていく。束の間の仮想空間である。期間限定だから愛おしく、お客様を魅了するのかもしれない。そして、スタッフも同様に、限りある期 […]

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閑話休題〜あの頃、みんな熱かった〜

大学卒業後、イベント屋としてサラリーマン生活は8年に過ぎない。 この年月が短いか、長いかはわからないけれども、その後30歳で会社を立ち上げ 現在30期目と考えると、サラリーマン生活は短かった気がする。 株式会社ニューズの […]

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業界の変化

せっかく入社した「小さなイベント会社」だったが、2年弱で辞めた。理由は色々あるけれども、イベント業界そのものの理不尽さに嫌気がさしたのかもしれないし、今考えると、明確な理由が「これだ」とは言えない。敢えて言えば、日本酒の […]

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夢工場87 

大学卒業後、就職させてもらった小さなイベント会社には、結局2年弱の短い期間しかお世話にならなかった。1989年1月に退職し、別の会社に移籍した。 しかしながら、今考えると、「小さなイベント会社」で学んだ様々なことが今の自 […]

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石ころの裏側

1987年4月私は小さなイベント会社に就職した。 社長と社員2人の有限会社だ。 そもそも、その当時イベント会社自体が認知されていないし、まず、就職先として候補には上がらないのが当たり前だった。そういう意味においてセールス […]

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教育実習

1986年(昭和61年)私は関西大学の4年生。教員免許を取得するために、必要な講義の単位を落とさないよう、それまでとは違って大学へは真面目に通っていた。これほど毎日大学に通ったのはいつ以来だろうか。まぁ、不真面目な学生だ […]

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ビアガーデン

大学3年の夏、共同経営していた「何でも屋さん」を私は抜けた。直接の原因はその夏に実施した1000人ツアーの失敗に対しての責任。間接的には「イベントのこと」を何も知らずに勢いだけで突っ走っていた自分自身を見つめ直し、これか […]

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でっかいどう北海道

大学1年生の夏、今から41年も前になるけれども、私は北海道の酪農家で1カ月間住み込みアルバイトを経験した。 浪人生活から無事に大学生活が始まった時に、「教員免許」を取得する、「運転免許」を取得する、という2つの目標以外は […]

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