閑話休題 インドで僕も考えた
23歳にして、初めての海外旅行、また一人旅で、かつ、行き(入国)と帰り(出国)だけが決まっている旅。 まさしく若気の至りとしか言いようのない旅程と言える。 あれから、30年以上た […]
インドネパール放浪記−2
ガンジス川からの光景は、今も自分の心象風景として刻印されている。 あれから、30数年経ても、それは変わらない。 幾分、衝撃的な現実を目の当たりにして、少し滅入っていたのかも知れない。 なので、当時からインドの伝説の宿と言 […]
インドネパール放浪記 −1
インドネパール放浪記 日々、「地球の歩き方」と睨めっこしながら、どこへ行こうか・・・・決まっているのは、最後は、ニューデリーから、帰国することだけ。 コルカタ(旧カルカッタ)から、次に目指したのは、インド北部のヒンドゥー […]
インドネパール放浪記
初めての海外旅行、それもひとり旅。 パートナーは「地球の歩き方」のみ・・・ 伊丹から、最初はタイ・バンコクでトランジット。 1泊、バンコクのホテルに泊まって、次の日にインドへ向かう。 旅の試練はその日から訪れる。 空港か […]
教育実習で教壇に立つ
1985年の夏の「1000人ツアー」の大失敗後、旅行会社から仕事をいただきながら、その赤字を埋め合わせて行きました。 やはり、モチベーションの低下は計り知れません。いけいけドンド […]
何でもお手伝いセンター 1000人ツアーの挫折
1985年夏、我々「何でもお手伝いセンター」主催の「1000人ツアー」を企画しました。 当時、開催されていた淡路島「くにうみの祭典」見学をメインに、船を宿泊先とした、1泊2日のツアーです。 船は、確か「あいぼり丸」だった […]
何でもお手伝いセンター なんでもやりました
大学2年生から3年生、私は、浪人生活を経てますので。20歳21歳のまさしく、“世間的には大人”になる年齢です。 しかしながら、まだその感覚は全くなく、いわゆる青春時代を謳歌していました。 何でもお手伝いセンターという、「 […]
何でもお手伝いセンター「換気扇洗い・蓋落っこちた事件」
今までも、何度も、書いていますが、大学2年の初夏に「何でも屋さん」を友人たちと共同経営し始めました。 高校時代の友人から声掛けされて、連れて行かれたのが、武庫之荘駅近くのワンルームマンションで […]