blog 1983年 何でもお手伝いセンター竏窒P

1年間の暗い浪人生活から、解き放たれた30年前の春・1983年、私は関西大学経済学部に通うことになりました。

本当は、体育の先生になるために、体育学科志望だったんですが、当時の共通1次試験に阻まれて、「社会科の免許」が取れる大学を2次志望として、合格したのが、関大でした。

教員免許を取るための「単位」を選択し、春のキャンパスライフに胸トキメかせていたのを、思い出します。

夏休みには、「北海道の牧草農家で1ヶ月間の住み込み」のアルバイトをして、お金を貯めて、車の免許を取り、あとは、「教員免許を取る」ことで、ほぼ、私の大学生活での目的は終わったと言っても過言ではありませんでした。

それからは、ひたすらアルバイトの日々でした、「学相(学生相談所)」通ってアルバイト紹介してもらって・・・・・・・・その間は、関大通りにある「雀荘」に入り浸り、授業の間に遊んでるのか、遊んでる間に授業を受けているのか、全く怠惰な生活を繰り返してた気がします。

そんなある日、高校時代の友人から1本の電話があり、「おもろいことやるから、一緒にせえへんか・・」という誘いの電話がありました。

阪急武庫之荘駅から歩いて5分ほどのワンルームマンションに友人は私を連れていき、A5 サイズのチラシを見せて、「今からポスティングや」

なんか、嵌められた気がしましたが、そこは好奇心旺盛な若者だったので、「ええままよ」と・・・・

一緒にポスティングをしたことで、

「この業界への見えざる道」が用意されてたのかもしれません。(続)