Blog 「奇跡の笹」

1995年、阪神淡路大震災が1月17日早朝に起こりました。本当に、今もあの瞬間を忘れることは、ありません。

その前年の秋に和歌山に引越、かつ冬にある人の引っぱりで、「会社設立・独立」を決意。

31歳のタイミングでした。

業界に入って10余年目のチャンスでした。

1995年1月事務所がキタにあった関係で「堀川戎」さんに参拝。これから始まる「会社」の商売繁盛を祈念してました。

まさしく2月から創業スタートを待つばかり、の時に起こった震災。

予定されていた、仕事はすべてストップです。

暗澹たる思いからのスタートを思い出します。

その際に、

励みななったというか、信じられないことが、ひとつ。
事務所の中は、震災でぐちゃぐちゃになっていた中、立てかけてあった、「堀川戎の笹」だけがしっかり倒れずに、あったのです。

私は密かに「奇跡の笹」と呼んでいます。

時として、世の中には、見えない何かの力で起こるべきことがある気がします。

「奇跡の笹」はその後のニューズでの出来事に対して、「何が起こっても、諦めない」ということを示唆してたのかもしれません。

戎さんの時期になると、あの震災と奇跡の笹を思い起こします。

あれから、20年、本当に毎年「奇跡の笹」をお返し、お参りできることに、感謝するばかりです。

写真: 「奇跡の笹」

1995年、阪神淡路大震災が1月17日早朝に起こりました。本当に、今もあの瞬間を忘れることは、ありません。

その前年の秋に和歌山に引越、かつ冬にある人の引っぱりで、「会社設立・独立」を決意。

31歳のタイミングでした。

業界に入って10余年目のチャンスでした。

1995年1月事務所がキタにあった関係で「堀川戎」さんに参拝。これから始まる「会社」の商売繁盛を祈念してました。

まさしく2月から創業スタートを待つばかり、の時に起こった震災。

予定されていた、仕事はすべてストップです。

暗澹たる思いからのスタートを思い出します。

その際に、

励みななったというか、信じられないことが、ひとつ。
事務所の中は、震災でぐちゃぐちゃになっていた中、立てかけてあった、「堀川戎の笹」だけがしっかり倒れずに、あったのです。

私は密かに「奇跡の笹」と呼んでいます。

時として、世の中には、見えない何かの力で起こるべきことがある気がします。

「奇跡の笹」はその後のニューズでの出来事に対して、「何が起こっても、諦めない」ということを示唆してたのかもしれません。

戎さんの時期になると、あの震災と奇跡の笹を思い起こします。

あれから、20年、本当に毎年「奇跡の笹」をお返し、お参りできることに、感謝するばかりです。