Blog 「奇跡の同窓会」

東京オリンピック招致決定はイベント業界的には久々の明るい話題と言えるかもしれません。
私がこの業界にお世話になった頃は、バブル全盛期でしたので、毎日、どこかでイベントが開催されていた気がします。
博覧会も至る所で、開催され、博覧会が地方活性化の起爆剤になっていたことも、確かです。

そのバブル最後の花が、1990年大阪鶴見緑地で開催された「国際花と緑の博覧会」かもしれません。

今の若い人は「花博」とは「淡路島の花博」と思っているかもしれませんが・・・・・

今から23年前です。

まだ銀行も合併前でしたから、様々な銀行グループがパビリオンを出展してました。

我々がお世話になったのは、当時大和銀行(現りそな銀行)を中心に、関西で生まれた企業40社の「大輪会」というグループでした。

「大輪会 水のファンタジアム」というパビリオンでした。

世界初の水をコンピューター制御した、水のオーケストラが織りなすウォーターショーです。
音楽も素晴らしく、当時としては花博で、1位2位を争う人気パビリオンでした。

祭りの後の静けさではないですが、その後の失われた20年で、すっかり日本経済は停滞してしまいました。当時の企業も合併などで、すっかり様変わりしてしまいました。

しかし、あの頃一緒に働いていた仲間との、同窓会が翌年から、毎年行なわれています。(現在は2年に1回の隔年開催)
23年間、途切れること無く、続く大輪会のパビリオンの「同窓会」を私はひそかに「奇跡の同窓会」と呼んでいます。

5年ぶりとか、10年ぶりとか、20年ぶりの同窓会はあるかもしれませんが、この同窓会は基本毎年(2年に1回)行なわれています。

そして、今年も先日10月12日に開催され、38人の方々が集まりました、23年の月日が平均年齢をあげていますが、面影をたどれば、やはり23年前のその姿です。

そして、2年後の再会を期して、またそれぞれの生活の場へ戻っていきました。

出会いは奇跡です。そして、その出会いの奇跡を紡いでいくのも、また奇跡なのかもしれません。

一期一会だけれども、再会また嬉し・・・・・

出会いは宝。

写真: 「奇跡の同窓会」竏窒P

東京オリンピック招致決定はイベント業界的には久々の明るい話題と言えるかもしれません。
私がこの業界にお世話になった頃は、バブル全盛期でしたので、毎日、どこかでイベントが開催されていた気がします。
博覧会も至る所で、開催され、博覧会が地方活性化の起爆剤になっていたことも、確かです。

そのバブル最後の花が、1990年大阪鶴見緑地で開催された「国際花と緑の博覧会」かもしれません。

今の若い人は「花博」とは「淡路島の花博」と思っているかもしれませんが・・・・・

今から23年前です。

まだ銀行も合併前でしたから、様々な銀行グループがパビリオンを出展してました。

我々がお世話になったのは、当時大和銀行(現りそな銀行)を中心に、関西で生まれた企業40社の「大輪会」というグループでした。

「大輪会 水のファンタジアム」というパビリオンでした。

世界初の水をコンピューター制御した、水のオーケストラが織りなすウォーターショーです。
音楽も素晴らしく、当時としては花博で、1位2位を争う人気パビリオンでした。

祭りの後の静けさではないですが、その後の失われた20年で、すっかり日本経済は停滞してしまいました。当時の企業も合併などで、すっかり様変わりしてしまいました。

しかし、あの頃一緒に働いていた仲間との、同窓会が翌年から、毎年行なわれています。(現在は2年に1回の隔年開催)
23年間、途切れること無く、続く大輪会のパビリオンの「同窓会」を私はひそかに「奇跡の同窓会」と呼んでいます。

5年ぶりとか、10年ぶりとか、20年ぶりの同窓会はあるかもしれませんが、この同窓会は基本毎年(2年に1回)行なわれています。

そして、今年も先日10月12日に開催され、38人の方々が集まりました、23年の月日が平均年齢をあげていますが、面影をたどれば、やはり23年前のその姿です。

そして、2年後の再会を期して、またそれぞれの生活の場へ戻っていきました。

出会いは奇跡です。そして、その出会いの奇跡を紡いでいくのも、また奇跡なのかもしれません。

一期一会だけれども、再会また嬉し・・・・・

出会いは宝。