奇跡の笹
1995年1月17日5時46分、阪神淡路大震災発生。
近畿圏の広域にわたり未曾有の被害を受けた。
特に、神戸市の市街地の被害は甚大で犠牲者は6434人にも達した。(出典Wikipedia)
私は、前年(1994年)に大阪市内から和歌山県紀の川市に移住していたため、揺れもそれほど大きくなかったが、大阪市内に居てたら、高層住宅でもあったので、部屋の中がどうなっていたか・・・
本当に災害は忘れた頃にやってくる。
親戚に連絡をとり、無事を確認する。宝塚に居住していた弟家族のマンションは被災を受けたが後日修理して治るほどのものだったけれども、当時は食料不足で、差し入れに行った記憶がある。
震災後、2〜3日経ったと思うが、大阪市内の勤務先が気になり電車を乗り継ぎ、事務所に向かう。
机は動き、引き出しも出ていたが大きな被害はなかった記憶がある。
当時はまだ、パソコンも普及してなくノートワープロだったし、事務用品が散乱しているくらいだった。
そして、この年の2月からスタートする新会社のオフィスにも向かった。マンションの一室だ。
事務機器もまだ揃っていない中、机や本棚はやはり散乱していたが、1月10日の戎さんで購入した「笹」は壁に立てかけていたままの姿で微動だにせずにいた。あの揺れに倒れてもおかしくないのに、「不思議だなぁ」とその時は思ったものだ。
日毎に、震災の被害の全容が明らかになってくる。もはや仕事をする状態ではない。
特に、神戸方面はインフラも寸断され、高速道路は破壊され、交通機関もストップしている状態。
2月から始まるはずの私の新会社・株式会社ニューズはそんな状態から発足したのも事実、実際いくつかの仕事はストップし、先行きが不安になったことは確かである。
しかしながら、進むべきことは進めないといけない。
立ち止まるわけにはいかない。
数日後には、世間もイベント業界も徐々に動き出していた。
「やり始める」ことよりも、「やり続けること」の方が、難しく、辛いことが後になってわかってくるのだが、この震災と微動だにしなかった「笹」が弊社のスタートであったことに何か因縁めいた想いがするのは、私の感傷気分だけだと思いつつ、何か見えない糸で引き寄せられたり、操られたりしているのではないだろうか。
人は「生かされている」とやはり実感せざる得ない。1995年2月から始まった私の起業家人生はまだまだ安心していられない。
様々な苦難が待ち受けているとは、その時はそこまで覚悟できていなかった。
その後「苦難」はこれでもかとやってくる。
とともに、また実直に前に進んでいると「助力」いただける人や仕事が現れる。
本当に、不思議に思うことが多々あるものだ。
行ったり来たりのジェットコースター人生は今も続いているが……