2025大阪・関西万博
今、大阪のイベント業界は大変だ。
賛否両論あるけれども、50年に1回の国際博覧会が来年大阪で開催されるからだ。
僕が小学1年の時、うる覚えだし、後日テレビや写真集で見た光景が記憶に残っているのかもしれないが、
1970年大阪万博が開催された。やはり、当時はワクワクしてたものだ。
ディズニーランドもUSJもない時代、様々な形状のパビリオンはテーマパークのようで見ているだけで
ワクワクドキドキだった。もっとも記憶に残っているのはアメリカ館の「月の石」
僕は飽き飽きしてたけれども、皆それを見たがって何度行ってもそこに行き着く。
外国人と遭遇するのも新鮮だったし、外国人も日本の子供が珍しかったのだろう、よく記念写真を撮られたものだ。
今、イベント屋として携わっているが考えてみれば、7歳の少年が見た光景がその後の人生に何らかの影響を与えたのかもしれない。結果、こうしてイベント屋を生業にして40年が過ぎている。
ある意味、イベント屋稼業の総仕上げかもしれないと思いつつ、取り組んでいる。
なので、理想論ではなく、イベント屋として若い人たち、特に子供たちに、万博を通して未来を見てほしいと思う気持ちがあるし、これからのイベントを支えていく若者にも最高の舞台として「イベント作り」に関わって欲しいと切に思う。
様々な雑音はおいといて、イベント制作をする立場として「五輪」と「万博」は最高のステージなのだ。
イベント屋の財産として、携わって欲しいものだ。