決断の時
「人生はやるか! やらないか!」常に決断の連続である。重大、些細なものの違いはあるが、誰もが決断の毎日を過ごしていると言ってもいいだろう。そして、人生におけるターニングポイントは、予期せぬ時にやってくる。
1994年10月のある日。僕が30歳の頃。イベント業界の他社のM社長から電話があり、「ビールでも飲めへんか?」とのお誘い。仕事の依頼でもなさそうなので、(うちの会社に来ないか)というヘッドハンティングかなと、その頃、業界では人手不足もあって、引き抜きはよくあることだった。しかし、当時大阪のイベント制作会社で働いていた僕は、幼い子供が2人いて、和歌山へ引っ越して1ヶ月というプライベートでも慌ただしい毎日だったので、会社を変わる気持ちは正直なかった。
(まぁ、M社長と会うのも久しぶりだし、ビールぐらいご馳走になってもええか……)そんな感じで梅田の高層ビルの会員制のラウンジで数年ぶりにお会いした。挨拶もそこそこに、「率直に言うわ、『会社作るねんけど、中野君やれへんか?』」今ある会社と別に会社を作るので、そこで取締役として来ないかという話。実質、その新会社を任せたいということだった。
ヘッドハンティングであれば、断ろうと思ってたけれども、それ以上に大きな話に、僕は一瞬「えっ?」となってしまった。想定外のことを言われた時の人間の反応ってこんな感じだろうか。言葉が出ない、言い返せない、うなづくことすらできない。固まってしまうとはこう言うことなのか。
「資本金は、こちらで何とかする、事務所も事務機も最低限用意するので、1週間後に返事くれへんか?」M社長は、とりあえず、伝えたぞと言う感じで、あとはよもや話、もちろん僕の頭の中は(独立? 会社やるかどうするか? どうしようか?)の言葉がぐるぐる回って、ビールの味もわからなかった。
学生時代に起業したこともあり、この業界に入った当初は(将来は、独立して会社を立ち上げるぞ)とは思っていたが、株式会社で資本金1000万円が必要だったし、事務所経費、コピーやファックス、事務用品など、一から全て揃えるにはあまりにもリスクが大きかったので、プライベート含めて、なかなか、想いとは裏腹に、そんな余裕もなく、その準備すらできなかった。ましてや、バブルが弾けて世の中不景気で、行き先不安な時期だった。現実的な話、独立どころではなかったのが本当の気持ちだった。
そんな時の、M社長からの魅力的な話。(しかし1週間後に返事くれって? 急すぎるやろ)悩んだのは確かだが、(前からやりたかった、独立したかった)の想いに素直に従ってチャンスだと思い、結局、資本金の5%、50万円だけ用意して、1週間後には一言、「やります」と返事をしていた。それから、設立準備、商号を決めて、登記を済ませ、1995年2月スタートが決まった。
(これからは、とにかく前に進むだけだ!)
そう心に誓ったものだ。
人生は、「できるか」「できないか」ではなく、「やるか」「やらないか」の2択である。振り返って、「あの時の決断」が正しかったのかどうかはわからないけれども、確実に自分にとっての人生の岐路だった。今もなお、日々、紆余曲折。山あり、谷あり、谷底ありの起業人生だけれども、足元を見つめて歩き続けるしかないのだ。
紆余曲折の出来事は、機会があればこうして書いてみたいけれども、あの時の「決断」が正しいかどうかは、実は30年の歳月がその答えなのかもしれない。