業界の変化

せっかく入社した「小さなイベント会社」だったが、2年弱で辞めた。理由は色々あるけれども、イベント業界そのものの理不尽さに嫌気がさしたのかもしれないし、今考えると、明確な理由が「これだ」とは言えない。敢えて言えば、日本酒の一気飲みを強いられたからかもしれない。まぁ、今だと確実にアウトだけれども、35年も前では宴会で「イッキ!イッキ!」の掛け声での一気飲みは当たり前だったし、それは盛り上がるためのパフォーマンスでもあった気がする。時代によって善悪が変わっていく典型的な事例かもしれない。その後、飲酒運転にも厳罰が下るようになるし、喫煙も分煙のもと、規制されることを考えると、時代とともに、民度が少しずつ上がってきているのかもしれない。政治家さんの意識は前時代的ではあるが。それはまた別の話。日本酒を東京のスタッフと二人でイッキ飲みをして、結果「次の日の現場をとばす」し、その後1週間ほどは酒が抜けない日々が続いた。千鳥足で歩けなくなったのも、人生で先にも後にもその時だけだ。仕事ではなく、笑い話のようだが、「イッキ飲み」で嫌気がさしたのが本当のところかもしれない。当然それ以降「イッキ飲み」はしていない。

その後、お世話になっている先輩の紹介で「東京のPR会社」に就職。ちょうど大阪支社を立ち上げるということで、タイミングも良かったせいで、お世話になることになる。PR会社だけれども、私が配属されたのは「制作部門」でイベントを通してPRする部門なので、イベント制作会社のようなものだった。ただ、セールスプロモーションに特化したイベントが中心だった。

新製品の発表会であったり、製品のブランディングイベントであったり、流通支援のイベントであったりで、単なる賑やかしイベントではなく、販促イベントと呼ばれるもので、当時のテレビ、ラジオ、新聞、雑誌の4媒体とメディアミックスした形でのイベント制作が中心だった。具体的にはペットフードの新製品販売会として、ホテルの宴会場を借り切って販売店の方々に、新製品を試食していただくとともに、販売宣伝戦略を発表し、メーカーとの懇親を図る場を演出したり、鈴鹿サーキットではレースのスポンサードしたメーカーの販売代理店さんを招待して、販促に役立てたり、ガス会社のショールームでクッキング大会を開催したりなど、販売促進のためのイベント制作が花盛りだった気がする。媒体と違って、コミュニケーションがダイレクトに図れるメリットもあり、またイベントという仮設空間で同じ体験をすることで一体感が生まれたりとイベント特有の訴求方法が求められてきた時代とも言えるかもしれない。

しかしながら、そうなってくると、徐々にコストパフォーマンスをクライアントからは求められてくる。何人の集客があったのか、どれだけの方々に認知してもらったのか、一人当たりのコストはどれだけなのかなど。

まさしく、バブル崩壊後、失われた10年とも20年ともいわれた時代、イベントの内容が変化し始め、より成果を求められることになった。

我々、イベント業に携わるスタッフもいつしかそのような成果に囚われていくことで、本来の楽しさや嬉しさが半減していったのかもしれない。次に続くスタッフが減っていったのも事実である。

そのように考えると、理不尽なイベント業界が成熟してきたとも言えるので、私が若い頃のバブル期はおおらかではあったけれどもなんともブラック的だったし、徐々にこの業界が整備されてきつつあったのかもしれない。

そして、昨今のコロナ禍以降は、在宅勤務やリモート会議などで勤務形態も変化してきたし、イベント業界も広告業界全体として整備されてきたのだろう。

私の長いイベント業や人生はもう少し続くけれども、イベントの楽しさ面白さとともに、その意義、ミッションを若い人たちに伝えたいと思っている。私の経験したノウハウも全部伝えたいと思うし、それが全て時代的に合うかどうかはわからないが、そこは取捨選択してくれればいいし、自分なりのやり方でいいと思うけれども、ちょっとでもヒントが見つかるなら、それも無駄じゃないと思うので、こうして拙い文章を今日もしたためている。