平穏な日々に突然・・・
1990年の国際花と緑の博覧会は、私のイベント業界におけるエポックメイキングな仕事になったことは確かである。
その後、長男・長女が生まれ、プライベートにも変化が訪れ、なんとか大阪支社を盛り上げていこう、給料も上げてもらおうと、それなりに営業活動も
行っていた時期だった気がする。
イベント業界は会社への発注よりは、個人への発注と追う側面もある。特に実行部隊である小さな制作会社は、代理店などの大企業は別として、個人の力量に負うほうが大きい。
「中野に頼みたい」そう言われるようになりたいとずっと思っていたので、企画書やマニュアルを自分なりにアレンジして書いていたのもその頃だった。
東京本社の会社だったので、東京からの仕事のフォローなど、その時期は20代後半の私は体力もあり、また様々な経験としては必要な期間だったのだろう。
サラリーマンだったので、マネージメント業は考える必要もなかったし、イベント制作の経験値を上げることに集中できた。
竣工式や懇親会、展示会のプラン設計・運営、流通支援の販促イベントなど、博覧会とは違ったイベント制作に携わりながら、企画提案を併せてしていた。
そういえば、この頃に社員旅行でオーストラリアのケアンズでバンジージャンプをしたり、ホノルルマラソンにチャレンジしたり、結構元気な会社だったのを思い出す。
そして、そんな平穏な日々の中「ある決断」を迫られる話が舞い込んでくる。
人生は決断の連続というけれども、1994年秋、一本の電話からそれは始まったのだ。