季節労働と交流人口
1983年夏、私は北海道帯広地区、十勝の豊頃町の牧草農家で過ごしていました。
何ヘクタールもある牧草を刈ることが最初の仕事です。
トラクターでとにかく刈る、刈る、刈る・・・・・・
一仕事して、朝飯。
そして、昼まで、刈る。
昼飯後、陽が落ちるまで、刈る。
とにかく、1年分の牧草を刈る。
その刈った牧草を、乾燥させます。
数日後、トラックに乗っけてサイロに運び込みます。
完全な肉体労働です。
フラフラになりながら、終わりのないように感じる牧草地を見ながら、途方にくれたことを思い出します。
とは言え、
雨が降ると全く作業ができません。
そんな時は住み込みの親父さん・叔母さんたちが北海道を車で案内してくれました。
襟裳岬、阿寒湖、網走・・・・・・本当に、いろんな所に連れていってくれました。
そんなフラフラになりつつ、観光にも連れていっていただいた、農家の皆さんに本当にお世話になりました。
どこまで、役に立ったかわかりませんが。
思えば、当時はバブル全盛期で労働力不足は全国に及んでいた気がします。
そして、昨今、少子高齢化時代、労働力はどうなるのだろうか・・・・
私が、アルバイトしたように交流人口が労働力になるような、都会と田舎の交流が、盛んになればいいのに、思います。
「アルバイト料」以外に得るものが絶対あるはずです。
行政も巻き込んで、労働力の交流人口増加施策を、
需要と供給のバランスを都会と田舎で計れないものか・・・・
「北海道の牧草地バイト」から、32年、体力的に肉体労働は無理だけど、互いにエールの贈れるビジネスモデルはないものだろうか・・・・・そんなことを考えています。