同窓会
私は、大阪市の港区で生まれましたが、物心ついた時は、大阪市の北東の町、東淀川区の北江口・井高野地区で暮らしていた。市営住宅の平屋と団地が立ち並ぶ、川に囲まれた地域だ。
当時昭和40年代から50年代は、まだ田んぼだけではなく、沼地や溜池がたくさん残っていたし、雑木林が乱雑に生えていた原っぱもたくさんあったので、遊び場には全く困らなかった。枯れ木や段ボールを使って「秘密基地」なるものを自分たちで作って遊んだものだ。当然、昆虫もたくさんいたし、夜になると電灯に蝙蝠がよく飛んできた。
大阪市内でありながら、そんな田舎町が私の故郷と言ってもいいだろう。
なんせ、物心ついてから、幼稚園、小学校、中学校と10年以上そこで暮らしたのだから。
先日45年ぶりに中学校の同窓会が開催された。15歳で進路が別れて、離れ離れになった友人たち。狭い川に囲まれた地域だったので、10年以上一緒に過ごした友人たちなので、幼馴染でもあり、少年少女時代から、思春期の頃までのお互いの成長期を見てきた仲間だ。なので、高校時代以降の友人とはまた違った感慨深い思いがある。
45年も月日が経っていると流石に姿形が変わっている人が多く、「お前誰?」「きみ誰?」ってなる。そんな中、「私(オレ)のこと覚えてる?」って聞いてくるのは反則だよね。(わかるわけないだろう、その変わり方で)と心の中でつぶやくけれど、意地悪な質問に、「小学校の時よく遊んだよな」なんて誤魔化しつつ、思い出をフル回転で炙り出す。そんな再会時間も嬉しくて、知らず知らずに相手の渾名が蘇ってくるのも不思議な感じ。お互いに覚えている「思い出」もそれぞれで、(そんなことあったかなぁ)(それ覚えてる!)などなど、時の経つのも忘れて、45年前にタイムスリップしていた。
みんな元気にしていることに嬉しく思いながらも、やはり早くして亡くなった友人たちもいて、どこかで元気に頑張っていると思っていたが、病気や事故で亡くなっていることを聞くとやるせなく思う。45年前の15歳の姿しか思い出せない。
そう考えると、会える時に会うべき人とは会っている方が、良いのかなと思う。
色々な事情でこういう集まりに来れない人もいるけれども、やはりそう思う。
そして、実にたくさんの仲間たちと同じ時を過ごしたことに、縁を感じ、そしてこれからもまた新たな出会いがあるのだと思うと、人は人に生かされていると心から実感する。
そして、また数年後に健康第一で、再会できることを祈るのみだ。