ビアガーデン
大学3年の夏、共同経営していた「何でも屋さん」を私は抜けた。直接の原因はその夏に実施した1000人ツアーの失敗に対しての責任。間接的には「イベントのこと」を何も知らずに勢いだけで突っ走っていた自分自身を見つめ直し、これから先どこへ向かうのかを考えるためだ。
元々、「教師」になりたかったので、引き続き教員免許を取得するための講義には出席し、単位はしっかり取ろうと思っていたし、4年の春には「教育実習」にも行かないといけない。
3年の後半にもなると、大学卒業後を考える。
当初は「何でも屋さん」を大きくして真の会社にしたいと真剣に考えていたけれども、それほど甘くはなく、無惨に解散となった。
私は、振り出しに戻ったのだ。
教員になるか、「イベント屋」として再チャレンジするのか。
将来のことなので、簡単には決めることができなかったが、結構その2択に絞っていた気がする。
とはいえ、私の周りは、その当時人気の企業を会社訪問して内定をもらっていた。メーカーや商社、金融系とそれなりに「いい会社」だったのだろう。
しかし、私は天邪鬼なのか、そのような大手企業には全く興味がなかったのだ。唯一、大手の広告代理店とテレビ局を受けたけれども、コネのない私が受かることはなかった。
就活を考えながらも「イベント会社」でのアルバイトは続けていた。もう一度原点に戻ってイベントを勉強するために知り合いのイベント会社に頼み込んだのだ。
特に、印象的なのは、ビアガーデンでの「ディスクジョッキーのイベント」だ。当時、1986年(昭和61年)ごろは、ウォークマンが大流行していたが、やはり音楽はレコードプレーヤーで聴くものだった。なので、集客を図るイベントの一つとして、「ディスクジョッキー」的なものがよく使われていた。
ビアガーデンでのそれは、ミニステージにレコードプレーヤーを設置して、お客様のリクエストに応じて曲を流す。ディスクジョッキーをしているのは将来のパーソナリティを目指していたアナウンサー学校の生徒さん。私は、ディレクターのアシスタント。毎回、番組構成表を見ながら、将来はパーソナリティの若い生徒さんと、ディレクターと、支給されるカレーライスを食べながら、打ち合わせをする。
どんな曲を流すか、どんな話をするか、どんな情報を伝えるか。なんせ相手はビアガーデンで酔っ払っているお客さんだ。楽しんでもらうことを前提に構成を考えるが、酔っ払っていることを忘れないでおかないと、絡まれることが多々あるのだ。
ある時、プロ野球速報で「阪神が負けている情報」を言った途端、その怒りがこちらに向いてくる。
「何やっとんじゃタイガースは」
まぁ、我々スタッフは「知らんがな」と心の中では思っているが、ストレス発散よろしくおじさんは難癖をつけてくる。「今日の選曲はあかんで」など
そんな時は、アシスタントの私がおじさんをなだめに行く。絡み客の相手が上手くなったのはこの頃の経験があるからかもしれない。
色々あったけれども、あの頃は「音楽」が重要なファクターであった。その場所に行かないと聞けない音楽、その場所とともに音楽が流れ、空間を作っていた。イベントは有限であり、仮設であり、それぞれの人々の心に刻印されるもので、残念ながら、終わると撤去され跡形もなくなる。
失敗したイベントも成功したイベントも、時が全てを洗い流していく。
そういえば、このディスクジョッキーのエンディング曲だけは決まっていた。
スティービーワンダーの「心の愛」
今でもこの曲を聴くと当時のビアガーデンの光景が思い出される。そう考えると、イベントそのものは撤去されるけれども、「心の愛」が私の心の中のイベントを浮かび上がらせるのだろう。
ビアガーデンのアシスタントの後、私は小さな小さなイベント会社に、新入社員としてお世話になることになるのだ。