コロナ禍が教えてくれたこと
昨今「コロナ禍」が、通常の生活と思っている・・・
2年という月日がそれを日常にしているような錯覚にする。
いや、錯覚ではなく、これからの日常が「今」なのだろう・・・・
不自由な制約の中、できることを精一杯やってきた。
ことのほか、イベント業界における制約は未だ厳しいと言わざる得ない。
“たくさん集まらない”“声を出さない”“人と人の間を一定空けること”などなど
そんな中でもできうる限りの対策を講じながら、イベントを成立させようとしている。
制作者も、演者も、そして観客も・・・・・
三位一体でのイベントづくり。
そんな状況下だからこそ、ライブでのイベントが希求される。
リモートやオンラインなど、コロナ禍だからこそ成立したビジネスモデルは、
その限界を露わにし、振り戻しよろしく生イベントの良さを改めて実感している。
極論すれば、生ライブに飢えている。コンサートしかり、漫才・演芸しかり、展示会、講演会、その他イベントであることで成り立ってきたビジネスが、元に戻りつつある。
そう考えると、コロナ禍の2年の歳月は無駄じゃなかった気がする。
何事も、マイナスがあれば、プラスがあり、そして何かが生まれ、滅んでいく。
結局、人に求められるものは生まれ育ち、残り続けるけれども、
人に求められないものは、廃れ、失われていく。
栄枯盛衰は世の常といえよう。
2022年はどんな一年になるのだろう。
楽しみであることに変わりはない、世の中がどのように変化しようが、どのようになろうが、
自分自身の立ち位置を見極めることができていれば怖くない、ということをコロナ禍で学んだ気がする。
求められれば、全力で、立ち向かい。100点以上を目指すのみ。
2021年はそれを実感した年であり、今後それをどう活かしていくか、自分自身のミッションである。