インドネパール放浪記−2
ガンジス川からの光景は、今も自分の心象風景として刻印されている。
あれから、30数年経ても、それは変わらない。
幾分、衝撃的な現実を目の当たりにして、少し滅入っていたのかも知れない。
なので、当時からインドの伝説の宿と言われる「久美子の家」に立ち寄る。
当時日本人なら、必ず立ち寄る、バックパッカー向けのゲストハウス。
ガンジス川の現実に少し疲れたのか、日本人に会いたかったのだろう。
しかし、そこに貼られた「行方不明者の写真」の数々。
インドは治安が悪くないとは聞いていたが、残念ながら、「日本人のパスポート」は高く売れる故に、狙われやすい。安心安全が当たり前の日本とは全く違う価値観。
私は、心身ともに、癒されたくて、ネパールへ向かうことにした。
陸路で国境を越える、エベレストの国・ネパールは顔つきも優しく、なんとなく、日本人に近い気がしたものだ。
私は、カトマンズから避暑地のポカラへ。
インドから逃げるように急いだものだ。
生と死が隣り合わせのインドから、エベレストを背にした町・ポカラ。
ここで、いく日か、深呼吸するのも悪くない。
湖畔のゲストハウスで、何も考えずに、ボーッとする。
激辛の食べ物で胃が暴れていたのを、ここで癒す。
刺激がありすぎると、普通が愛おしくなる。
その後、再びインドに入国。
タージマハルから、ニューデーリーへ・・・・
強烈なインド から身を守る術は観光客に徹すること。
目に入る風景、耳に入る音、街の匂い、寄ってくるインド人たち、それらをあくまで、観光客として捉えること、ポカラからインドに再び入国に際して、自分に課したインド放浪の旅の術だ。
17日間の放浪の旅が終わって、帰国。
伊丹空港に着いて、待っていたのは、ロストバッゲージ。
最後まで、インドらしい気がしたものだ・・・・・・
今、改めて「インドを考える」
13億人という、巨大な人を育むインド 。
暑さ、汚濁、喧騒、環境そのものが混沌としているカオス状態。
カーストに根差した、ある意味、生きることに対する諦め・無常感。
輪廻転生を信じることでそのバランスを保つ倫理観。
今のインドは、知らない。30年以上前の私に刻んだ風景が大きく変わっていることを祈るしかない。