イベント業界との出会い
「お仕事は、何をされているのですか?」
初めてお会いする人や、異業種交流会などで必ず聞かれる。
「イベントの企画制作の仕事です」
一瞬、間があり「楽しそうなお仕事ですね」
毎回ほぼ同じやりとりになる。
しかしながら、具体的に何をしているのかは、多分理解されていないし、僕も手短かに説明できないので、
(そうでもないですけどね)と、心の中で、ひとりごとを言う。
自分の仕事内容を理解してもらうのが難しい。実際、僕の妻すら、今だにどこまでわかっているかどうか疑問だ。
今回は、少しイベント業界の一部をご紹介したいと思う。
僕がイベント業界を知るキッカケは、1985年、40年も前の大学時代の頃だ。
学生でありながら、何でも屋さんを友人と共同経営していた
今でいうベンチャー企業だが、そんな洒落たものではなく、
「困ったことはなんでもお手伝いします」というもの。
ワンルームマンションに電話一台置いて、依頼を待つ。
当時は、インターネットや携帯電話がない時代で、困ったことは、NTT(旧電電公社)の黄色いタウンページで探して、電話をしてお願いするしかない時代だった。
そんな状況だったせいか、すぐに、相談の依頼電話がかかってきたものだ。
「換気扇を洗って欲しい」「引っ越しを手伝って欲しい」「害虫駆除のお手伝い」など、
実に様々な依頼が舞い込んできた。
そんなある日、讀賣テレビの番組制作の会社から、
「20人ほど、若い学生さん連れて来てくれへんか」という依頼がい込んできた。
聞くと、アメリカ横断ウルトラクイズの高校生版の予選大会をやるので、手伝って欲しいという。
その番組は当時大人気で、クイズに勝ち抜きながら、アメリカへ渡って、
ラスベガスまで行こうというもので結構見られていた番組だ。
僕たちは、テレビ番組の手伝いなどやったことがなかっけれども、そこは猪突猛進、若気の至りで、
「わかりました、20人のスタッフ集めます」
「では奈良公園に朝6時に集合してくれるか」ということで、
朝早いけれども、(テレビの仕事やで)という未知の世界への憧れで、僕もスタッフも、テンションが上がったものだ。
番組スタッフから「みんなには、このロープを持ってもらって、出演者の真ん中に並んでもらいます。
司会者がクイズの出題の後に、『イエスかノーか』の掛け声で、ロープをあげて、
『そこまで!』でロープを降ろしてください」
そうだ、100組近い出場校をふるい落とすクイズ「イエスノークイズ」のロープマンだ。
僕たちは、1時間も働いただろうか、ロープを上げて下げてを何度か繰り返すだけだったが、
番組作りに参加しているというだけでアドレナリンが出て満足だった。
100組近い高校生は10組ほどに減っていた。勝者の10組は、また別のクイズにチャレンジするために、
東大寺前や若草山に移動していった。
その後テレビ番組会社から依頼が増えていく。プロ野球選手の運動会や阪神タイガースのファン感謝デーなどの
スタッフとして呼んでもらった。経験も徐々に積んでくると、単なるスタッフから、アシスタントディレクタ
ーに格上げされ、マニュアルなどを制作することになる。
しかし今考えると、僕たちはノウハウもなくただ勢いだけでやっていた気がする。
イベント業界は、もっと広く、深く、キツいものだと、その後の「大失敗」で気づくのだ。