「年賀状じまい」
2025年巳年が始まって8日間、学校もスタートして、年末年始のお屠蘇気分から日常の生活へと戻ってくる。
私の若い頃の、年始の楽しみといえば、年賀状だった気がする。
元旦に郵便局のバイクの音がして、束になった年賀状を受け取る。
友人からの年賀状を一枚ずつ見ながら、「気になるあの子」からの年賀状を見つけた時の嬉しさは今も忘れない。別にラブレターじゃないのに、心ときめいた記憶がある。そんな思い出を浮かべつつ、昨今の年賀状減少を寂しく感じるのは私だけだろうか。
環境問題など社会の流れ、郵便料金の値上げ、SNSの普及など時代の流れには逆らえない事情にも頷かざる得ない。
帝国データバンクによると、企業の半数近くが「年賀状」をやめたと新聞に掲載されていた。
しかしながら、お正月の一つの風習が失われていくのも寂しいものだ。
時代が移り、技術が進化し、様々なコミュニケーションツールが普及するにつれ、失われていくもの、発展していくものは仕方のないことなのだろうとは思う。ある人が言っていました、「スマホはすぐに答えを教えてくれるが、人間にとって大切なのは、答えではなく答えに至る過程を学ぶこと」
年賀状は、年に1度、送る相手に対する「私はあなたのことを気にしています」という優しさであり、思いやりのような気がするのは単なる私の感傷だろうか・・・
来年の年賀状をどうするか悩む2025年の年の始まり・・・・