「エルトゥールル号遭難事件」
秋の長雨とはよく言ったもので、ここ最近は秋晴れと秋雨が交互にやってくる日々です。
先日の台風後の関東地方の豪雨の爪痕はいまだ、癒えず、インフラ含めて早急の対応を、そして被災者の皆様が、元の生活に戻れるようにお見舞い申し上げます。
表題の「エルトゥールル号遭難事件」とは、今から125年前の今日、オスマントルコの軍艦エルトゥールル号が和歌山県串本町沖で遭難し500名以上の犠牲者を出した事件です。
折からの台風による強風で岩礁に激突し座礁。600名以上が海へと投げ出されたそうです。そのうち近くの灯台に流れ着いた生存者を言葉の通じない地元の住民たちが懸命に救助活動を行ったそうです。
蓄えの少ない、非常用の食事等を供出し、生存者の救護に努め、結果69名が救出され、生還することができたそうです。しかし、587名の方が死亡・行方不明となり大惨事の遭難事故となった。
その後生還者を日本海軍の船で無事に送り届けたそうです。
その後、オスマン帝国の人々は日本における救助活動や日本政府の尽力に対して、遠い異国日本と日本人に好印象を抱いたと言われています。(出典:ウィキペディア)
時は21世紀、イラン・イラク戦争時の逸話と絡めてこの話が紹介される機会が増えていきます。
1985年当時イラクは、イラン上空の航空機に対する無差別攻撃宣言を行い、各国はその期限までに脱出しなければなりません。
しかし日本は航空機での脱出ができない、その時にトルコ国は自国の国民よりも日本人脱出のために救援機を派遣してくれたのです。
それは、「エルトゥールル号遭難事件」の恩義に対する恩返しでした。
215名の日本人は期限ギリギリで無事脱出することができたそうです。
この2つの事件(事故)は時代を越え、国境を越え、また人種を超えて語りつがれる物語であり、真実の話です。
人間の愚かな争いの陰で、このような人間同士の温かい物語が存在するということを我々は今一度、噛み締めてみるべきかもしれません。