「お引越し」
生涯のうち、何度、人は引越しをするのだろうか・・・・
物心ついた幼年期、私は大阪市東淀川区の田園地帯で過ごしていました。1970年代の頃です。
まだ道路はアスファルトになる前、荒地や沼がたくさん点在している市内でも田舎町だったように思います。
高度成長期真っ盛りの時期で、毎年どこかここかで工事中。
その姿は毎年変わっていきました。
いつの頃か、沼で遊ぶこともなく、市営高層住宅が立ち並ぶ住宅街へと変貌していきました。
私の家族も御多分に洩れず、その平屋建てから、高層住宅へ引越ししました。中学生の頃です。
何より嬉しかったのは、自分の部屋を持てたことです。年頃ですから、どうしても部屋に籠りたい頃です。好きな音楽やラジオを聴きながら空想にふけっていたものです。
その後、浪人時代に初めて一人暮らし。賄い付きの新聞配達浪人です。5ヶ月ほどでしたが、4畳半一間での生活はその後の私の人生に大きく影響を与えたことは確かです。
その後は、自宅から大学に通い、次に引越ししたのは、結婚したタイミングです。26歳になっていました。
その後、31歳で和歌山に引越して今に至ります。
やはり引越しのタイミングは進学であったり、就職、結婚という「晴れの日」が多いのでしょうか・・・・
私の場合はプライベートとは別に会社の引越しも頻繁にありました。31歳で創業し、その後20年余、事業拡大・縮小に伴いその都度引越した気がします。
引越することで、様々なものを捨てていきます。
モノだけではなく、それは思い出という切ないモノも含めて・・・・
「放てば、手に満てり」道元禅師の言葉です。
様々な事どもに当てはまりますが、私の解釈は、
“執着をなくす事で得るもの・ことがある“
引越はそのきっかけになることも確かです。
なかなか捨てきれないモノだけではなかく、何かそれまでの経緯などを切り捨て、切り替える機会、それ故にまた得るものがあるということ。
最近、「断捨離」という言葉も流行っています。深い意味がありますが、単に部屋にあるモノを捨てるということでも使われます。本当に人間は欲深いのか、捨てきれない。
引越はモノを捨てるタイミングだけではなく、それまでの生活や人生を変えるキッカケのタイミングなのかもしれません。
ちなみに今日は明治天皇が京都御所から、江戸城(皇居)に入城された日で、「引越の日」らしいです。
どんな引越だったのか、見てみたい気もしますが・・・・
捨てるモノも大層なモノだった気がするなぁ・・・・