20数年前のインドのことです。
当然今や、新興国として、BRICsの一国として、経済的にも世界的には大国への道を歩んでいます。
なので、いまは、どうなっているかは、わかりません。
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1987年の2月・・・・・
大学卒業をひかえ、ひとりインドに旅立った、私の旅もすでに、10日ほど、たちました。
最大の目的地、バラナスィー・・・ヒンズー教徒の聖地のひとつ。
ガンジス川に沿岸にあるこの町は、川の右側には、寺院など、建物が所狭しと建っています。
そして、反対側の左岸には、全く建物はなく、見渡す限りの荒野。
左は不浄という思想からきているんでしょうか。ものを食べる際も、右手しか使いません。
トイレでは、左手で、ウォシュレット・・・・
私はボートの上に、いました。
川辺では、
洗濯をする婦人、歯をみがく老人・・・人々の日常がある反面 必死に沐浴をしながら、祈る人々。
皆この地に、死ににくるそうです、輪廻転生・・・・今度生まれ変わるときの幸せを願って。
カースト制度が、根づよく残るせいでしょうか・・・・
深い事情はわかりませんが・・・・そこには、確実に生と死が同居していました。
河原に目をむけると、煙があがっています・・・・火葬場です。
その、焼けた灰をガンガーに流される、それこそ、人々の願い。
ボートの横を、こどもの死体が流れている。こどもは焼かずに流される、
それすら、この地で死を迎えられた、願いだそうです。
ボートの船頭さんは、お父さんも、おじいさんも、曾おじいさんも、・・・・船頭さんだったらしいです。
彼の、川辺を見る瞳は、、、輝きのない、諦めの瞳。川辺の光すら、反射しない瞳。
今も、その情景は私の瞳に、浮かびます。
あれから、20数年、「その風景」は今の私の瞳には、どう映るんだろうか?