2009年7月アーカイブ
いよいよ、旅も終盤になってきました。
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ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、ペルシャやアラブ、果てはヨーロッパから2万人もの職人を集め、22年の歳月をかけて建造させたといわれているインド=イスラーム文化の代表的建築。
名前の由来はよくわかっていないが、王妃の名ムムターズ・マハルを縮めたものではないかという説が有力である。ムムターズ・マハルはペルシャ語で「宮殿の光」、「宮廷の選ばれし者」を意味する言葉であり、第4代皇帝ジャハーンギールから授けられた称号である。彼女の本名はアルジュマンド・バーヌー・ベーガムという。タージ・マハルを言葉どおりに訳せば「王冠宮殿」もしくは「宮殿の王冠」という意味になる。*出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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リコンファームをすませ、いよいよ帰国へのカウントダウン。なぜかほっとした気がします。
最後の目的地、デリーに・・・・・
そこでは、蛇使い師や、空中に浮かぶ人間など、多士済々のストリートパフォーマーたちの競演。
イギリス統治時代のオールドデリーや、今までの都市とは違う、清潔感のある、ニューデリー。
いよいよ、帰国という、最後の日、ニューデリーの街中を歩いている私に向って、
日本語で、私の名前を呼ぶ声が聞こえます。
ん?ん?・・・・・誰?・・・・・こんなところで・・・?
なんと、今でも友人であり、仕事のパートーナーである、N氏でした。
まさか、こんなところで、日本の友人に会うとは、まったく思わなかったです。
インドに行っているらいいとは、聞いてましたが・・・・
N氏は、私にとって、様々なことを教えてくれる 遊びの師匠です。
今でも、親しくさせてもらってますが・・・・・
そのN氏もその日に帰国ということで、一緒に空港に向かいました。
帰国に際して、出国税を払わないいけません。
私は知りませんでした・・・
既にそのタイミングでは、ルピーをすべて使ってしまって、ドルしかありません。
でも、空港税はルピーでないといけなくて・・・・私は出国できない!!という状況に陥りかけました。
それを救ってくれたのが、N氏。
たら、れば・・・・ですが、
もし、N氏とニューデリー出会わなければ、私は空港で足止めされていたかもしれません。
今でも、感謝のニューデリーの出会いです。
そして、無事、伊丹空港に到着。
のはずが・・・・・・・・・・・・・・・・
ロストバッゲージ・・・・荷物がない・・・・・・・・出てこない。
どこか知らぬ土地に、行ってたようです。
最後までお騒がせなインド17日間の旅でした。
パッケージツアーでもない、ひとりきりの、そんな、ある意味 無謀な旅でしたが、
これは、今の私の基本になってます。
考えて行くのではなく、行ってみて考える。
見ただけでは、したことにはならない。
言っただけでは、したことにはならない。
聞いただけでは、したことにはならない。
したことだけが、したことになる。
興味、好奇心そして自らの目で、耳で、体で確かめる・・・・
チャレンジスピリットは、いつも持っていたいものです。
出演者:中国琵琶 葉衛陽、さくら。ピアノ 高瀬佳子、画家 馬樹茂、 司会 シャオ チェン
中国琵琶の音色に魅せられただけでなく、
特に、良かったのが、
中国琵琶演奏と、唐詩の朗読そして、水墨画の創作のコラボレーション。3つのジャンルを組み合わせたステージングはとても感動的なシーンでした。
と、その前には、京セラドーム大阪に、サイモン&ガーファンクルのライブ。
私の父世代の方々が、沢山いらっしゃってました。
私が、生まれた頃にデビューした、アーティストですが、
おなじみのナンバーもあり、楽しいひとときを過ごしました。
ライブは、その歌や演奏だけではなく、観客の空気も含めて、ココロに、やってきますね。
色々な、ステージを見ることは、とても五感に、いい。
20数年前のインドのことです。
当然今や、新興国として、BRICsの一国として、経済的にも世界的には大国への道を歩んでいます。
なので、いまは、どうなっているかは、わかりません。
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1987年の2月・・・・・
大学卒業をひかえ、ひとりインドに旅立った、私の旅もすでに、10日ほど、たちました。
最大の目的地、バラナスィー・・・ヒンズー教徒の聖地のひとつ。
ガンジス川に沿岸にあるこの町は、川の右側には、寺院など、建物が所狭しと建っています。
そして、反対側の左岸には、全く建物はなく、見渡す限りの荒野。
左は不浄という思想からきているんでしょうか。ものを食べる際も、右手しか使いません。
トイレでは、左手で、ウォシュレット・・・・
私はボートの上に、いました。
川辺では、
洗濯をする婦人、歯をみがく老人・・・人々の日常がある反面 必死に沐浴をしながら、祈る人々。
皆この地に、死ににくるそうです、輪廻転生・・・・今度生まれ変わるときの幸せを願って。
カースト制度が、根づよく残るせいでしょうか・・・・
深い事情はわかりませんが・・・・そこには、確実に生と死が同居していました。
河原に目をむけると、煙があがっています・・・・火葬場です。
その、焼けた灰をガンガーに流される、それこそ、人々の願い。
ボートの横を、こどもの死体が流れている。こどもは焼かずに流される、
それすら、この地で死を迎えられた、願いだそうです。
ボートの船頭さんは、お父さんも、おじいさんも、曾おじいさんも、・・・・船頭さんだったらしいです。
彼の、川辺を見る瞳は、、、輝きのない、諦めの瞳。川辺の光すら、反射しない瞳。
今も、その情景は私の瞳に、浮かびます。
あれから、20数年、「その風景」は今の私の瞳には、どう映るんだろうか?
弊社と一緒に、協力いただいている、映像会社が
展示会を」開催します。
いつも、チャレンジし続けている会社です。
皆様のお役にたてるものがあると思います。
詳しくは下記ホームページから、お申し込みください。
ネパールの首都カトマンドゥで、ほっと一息。
飛行機でポカラへ向かう。
レイクサイドのロッジに泊まって・・・
ボートをベッドかわりに、心地よい陽射しを浴びながら、時間を忘れて・・・・
グリーン色の大湖に、映るヒマラヤの山並み。
牛が群れ、鳥が鳴き、馬が駆ける。
もう幾時間眠ったろうか?
都会の喧噪が嘘のように、ここは時間がゆったり過ぎていく。
旅の疲れを、ここですべて洗い落し・・・・
次なる目的地で行くための、ここの空間はとても必要な時間だった気がする。
というより、あまりにも、衝撃的な場面が、待っていようとはこのときは、思いもよらなかった。
カオス(混沌)の世界・・・・・
まさしく、カルカッタについて、街中を歩きながら、そんな感じ。
リキシャが行き交い、信号のない交差点では、車と人、自転車がよくもぶつからないな、と思うくらい行き来している。
側道には、様々なバザール。
井戸水で体を洗っている男。
毛布にくるまった、モノもらい人。
犬が徘徊している。
時折、像がのしのしと、歩いている。
私は、オレンジと、チャイでしのぐ、日々。
次の目的地、ネパールへ向かうために、今度は恐ろしいほど、込んでいる鉄道に乗る。
国境都市、パトナへ・・・・
何時間ゆられたろうか・・・・乗ってはいけない車両に乗って、インド人の車掌に怒られて、
追加料金を払って、寝台車両にうつって・・・・本当は既に目的地に着いているはずなのに、
2時間は過ぎている・・・・・・今度は不安で寝れない。
英語もヒンズー語もしゃべれない・・・・・・なにも、コミュニケーションが図れない、意思疎通が図れない、、、、、、言いようのない疎外感と、不安感。このままこの世から消えてしまうような錯覚。
このときほど、この無謀な一人旅を後悔したことはない。
何時間遅れだろうか、パトナに到着し、次はバスで国境越え。
ネパールの首都、カトマンズへ向う。
日本を離れてまだ4日目・・・・結構滅入ってた気がする。
えいままよ・・・・・・
このあと、堀の深いインド人の顔から、チベット系のネパール人の顔を見なかったら、
キット、航空チケットを変更して、日本に帰ってた気がする。
今日、掃除をしていたら、出てきました。インド旅行記。
へたくそな字で・・・・当時のインドへ行く前と、行っている間、そして帰ってきてからの、色褪せたメモ程度の走り書き。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1987年2月13日(金)伊丹発 バンコクへ
2月14日バンコク発カルカッタへ・・・・・・・・・・・・・・・・・
メモ書きによると、
ローンを組んで行ってます。((@_@;)・・・・・お金無かったんだ・・・・・
初めての海外それも一人旅・・・・・・免税店で、タバコとジャックダニエルを買ってる・・・・
今は、当たり前ですが、当時はジャックダニエルなんて、国内ではなかなか飲めなかったです。
機内での、あたふたぶりが・・・・情けない
いったんフィリピン、マニラ空港で、トランジットしてます。
その時、トイレに入って、タオルを持った現地人にチップ攻撃にあってます・・・・・
バンコクに着いてからは先のブログに書いたとおり・・・・
カルカッタに着いたのが、14日の昼。当時の通貨は1ドル=20ルピーくらい。
なにかと、不安を抱きながらの、旅だったようです。断片しか覚えてないので、スケジュールをあらためて、確認すると、ん????なんか不思議ですね。
カルカッタに着いた時の印象は・・・・
とにかく、暑くて、汚なくて、湿気てて、そして喧噪の町。人がやたら多い!
でも、なんとなく、懐かしい、町。
とりあえず、水シャワー付き、トイレ付のホテルをおさえて、バザールへ・・・・
当時、インド人は100円ライターをやたらと欲しがった記憶があります。
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今月7月26日(日)朝9時から、 住之江区の高砂神社境内にて、開催します。
今年で6回目です。餌をとる習性を利用した相撲大会です。
http://www.news-inc.com/asobi/contents/index.html
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かぶと虫は、当神社の宮司さんが、育てておられます。
卵から、蛹、幼虫、そして 成虫になるまで、1年中、お世話が必要です。
水をやりすぎてもダメで・・・・本当に頭が下がります。
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吊天井土俵と、土俵、音響設備などは、弊社が協力しています。
そして、「あそび塾はっぴ」も・・・
私は、アドバイザーとして、参画しています。
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もともと、このイベントは私のライフワークです。
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是非、このイベントが大阪中で、いや日本中で開催されたら・・・・・
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でも、カブトムシはひと夏の命なんですね。来年は彼らの子供たちが闘います。
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是非、ご覧に来てください。
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結局、貧乏旅行なので、行きと帰りのエアーチケットだけ、予約して、あとは「地球の歩き方」だけ。
まず、タイのバンコクでトランジットのため、1泊。
タクシーに乗って、宿泊ホテルへ。
10分くらいの距離なのに、・・・・・・着かない。
タクシーの運転手に、「どこへ向かってるの???」って。
彼曰く「遊びはいいですか!」流暢な日本語。・・・・"そういうことか"
「ノーサンキュー・・・・ハリーアップ to hotel!」
油断も隙もありません・・・・安心してたら、どこに連れて行かれるか・・・
結局、彼はホテルの部屋の前までついてきて、値段交渉!!!!
初めての海外の夜はこんな思いの中で、一睡もできずに、過ごしました。
次の日、空港に行くと、同じ年ごろの日本人がいました。
行先は同じなので、いろいろ話をしました。
彼は、昨夜・・・・・・
ぼったくられた、という・・・・やばいよな、やっぱり。
この先、気をつけなあかん・・・・・旅の始まりから・・いろいろ試練あり。
なんとか、教員免許も取得し、単位もとって、ゼミの論文も提出し、あとは卒業だけ。
就職は・・・・・・・
当時、周りの人たちは、証券会社、銀行、など金融関係と、マスコミに人気があったように、思います。
私は、わずか3人の小さなイベント会社に決めました。
とにかく、基本、基礎を学べる会社がいい・・・それだけです。
それは、「何でも屋」の再興を夢見ていたのかもしれません。
まぁ、残念ながら、愉快なキャンパスライフもあとわずかになり、最後の仕上げ・・・・・・
一人旅、卒業旅行。
インドネパール17日間の旅。
「地球の歩き方インド編」とパスポートをしっかり握りしめて、初めての海外へ出発。
波乱万丈のキャンパスライフの締めくくりに、ふさわしい思い出多き旅になりました。
MT42BlogBetaInner